小さい頃から「誰かがしてくれるなら私はしなくていいや」
という合理的な性格があって、これが家でも仕事でも
発揮されていて、この性格はたぶん一生変わりそうにない。
それが大勢が向かうところに興味なし、という天邪鬼的な
性格にもつながっている気がする。それは、そうしようと
意識しているというよりも自然にスーッと冷めていく感覚。
星と花のワークショップで自分のホロスコープをあらためて
知ってその謎が解けた。というか、もっと早く知っていたら
早く悟れたのかも?
振り返ると仕事もコロコロ変わっていった。
学生時代のバイトも含めたら、おもしろそうで興味をひけば
なんでもやってきたので、数知れず。しかし誰もが経験して
いそうなコトは意外としていなかったり。
探求したいことには一直線。
その一直線が今ではセンでつながってどうにか生きている。
何が言いたいかというと、若いうちから自分の道を決めても
決めなくてもどっちでもいい、っていうこと。
結果を求めず、目の前にあるものの中で興味のあることを
淡々と続けている先に鉱脈が見つかる、というか。
やめた方がいいのは世間の評価で好きなことを脇に避けて
しまうこと。こっちの方が重要。これからの時代はとくに。
長いあいだこの世を支配していたいわゆるディープステイト
的な枠組みが解けてきているのだから、戦争という国家事業
ももう終わりだし、戦争とくっついている金融も崩壊間近。
戦争終了⇒金融崩壊ときたら、次はそこと関係の深い医療界
でしょ、そうしたら「働き方」「雇用システム」も変わる。
今までの搾取(奴隷)システムから解放されるのだ。
(システムに反映されるのはまだ少し時間が必要だけど)
でも、その今までのシステムは相互依存から成り立っていた
わけだから自分の内側に根付く「大きなところに所属して
いれば安心」という幻想から自由にならなくてはならない。
その時に、拠り所になるのが何をしている時が楽しいか?
という正直な感覚。好きなこと得意なことを仕事にしている
人は病気にもなりにくいという統計もある!(当社比)
しかし、長い間、義務感や世間に足並みそろえて生きてきた
人ほど自分が何が好きか思い出せなくなっている。
そんな時は逆に考えてみる。
何を「したくないか?」
私は35年前に社会に出るときにそこから考えた。
制服は着たくない。
満員電車に乗りたくない。
人の指図は受けたくない。
という3大わがままがあったため就職するなど絶望的。
というところからのスタートだった。
唯一、日本以外を見てみたい、というのが希望だったので
一人海外へ行ってみたのだが、それが大正解だった。
ここで間違えて欲しくないのが
海外に行くことが正解なわけではなく
まわりの勧めることより自分の感覚を優先したことが
正解だったということ。
教員資格をとったのだから先生になるんだろう、という期待を
裏切ったみたいなカタチだったけど、私は1度も学校で働こうと
思ったことはなく、純粋に「教育学」に興味を持っただけだった。
それの何がいけない?笑、という気持ち。
当時は先生になりたい人は今と違って大勢いたのだから、
私がしなくても誰も困らなかったはず。
この人生、そうやって人の期待や思惑をなん度もすり抜けてきて
しまった感は否めないが、死ぬ時にどっちが後悔しないかな、と
考えると、やっぱり自分の感覚を信じて進んでみた方がいいと
いうのが持論です。
